グッと身近に来る日本史

読書でタイムトラベラー/時空を超えた世界へと旅立つための書評ブログ

倒幕派に大義名分を与えた「英国策論」

 幕末における英国の外交官、アーネスト・サトウの名を一躍有名にした『英国策論』。幕府の崩壊がいよいよ現実のものとなった幕末のクライマックスで出版されたこの本は、新政府のあるべき姿を示唆、政局に大きな影響を与えました。果たしてこれは英国の謀略だったのか-。注意しつつ、彼の回顧録『一外交官の見た明治維新』を読んでいきましょう。

 

f:id:miyatohru:20171128193712j:plain

幕府対薩長の対立が明確になる中で、出版された『英国策論』。たまたま出たかのようにサトウは言うが…

 

 『英国策論』とは、1866年(慶応2年)春、「English Policy」としてジャパン・タイムズに掲載されたサトウの論説記事が、その後、日本語に翻訳されて小冊子として出版され、1867年(慶応3年)以降、国内に広く流通したものです。

 

 その主張は、

・将軍は諸侯連合の代表であり、日本全土を支配する存在ではない

・独立大名(外様藩)は開国から時がたつにつれて、貿易への関心を強めている

・日本は、天皇を中心とした諸侯連合へと移行し、新たに条約を結び直すべきである

というものでした。

 

 とくに、冊子の原文(国立国会図書館デジタルコレクション)を読むと、

 

 今此ニ改革ニ及フトモ強チニ日本ノ君主タルヨウニ偽リシ大君を廃スルト言ドモ国家ノ顚覆ニハ至ラサルナリ 

 

といった文章まで見られます。現代文に訳せば、「今ここに改革に及ぶとも、日本の君主であるように偽ってきた将軍を廃するとしても、国家転覆にはあたらない」となり、まるで「倒幕は社会的正義である」と言うかのような刺激的な内容となっています。

 

 ただ、主張の核心部分については決して目新しいものではありません。将軍が日本全土を統治する存在なのか(=外様大名の領国にまでその主権が及ぶのか)という疑問を抱えたまま、ひとつの国として外国と条約を結ぶという幕藩体制の矛盾については、開国交渉の始めから幕府、欧米ともに外交の当事者間ではある程度共有されてきた問題でした。

 

gootjapan.miyatohru.com

 

 それに昨今の情勢を交えて、より具体的に論じたというのが『英国策論』であって、ここではそのオリジナル性よりも、あくまで外交の当事者間の「ひそひそ話」だったものが、広く日本人一般の知るところとなった、という部分に歴史的意義があるように思います。

 

 そういう話が、なぜこのタイミングで出てきたのか。 しかも、翻訳されて国内に広く流布したのか。サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読むと、その経緯は次のようなものでした。

 

 薩摩の貿易船が一隻この横浜へ入ってきたが、日本側の当局は、外国人の社会とこの船の人々との交際を防ぐために、神奈川寄りのはるか遠くに停泊するように命じた。私はこの問題を採りあげ、大君と締結した条約が不満足なものであることを述べたてた。その条約は、外国人との貿易を大君の直轄地の住民だけに局限して、この国の大部分の人々を外国人との交渉から断ち切るものであった。そこで私は、条約の改正と日本政府の組織の改造とを求めたのである。 

 

  また、翻訳されて、出版されたことについては、

 

阿波候(訳注、蜂須賀斉裕)の家臣である沼田寅三郎という、いくらか英語を知っている私の教師に手伝ってもらって、これらを日本語に翻訳し、パンフレットの形で沼田の藩主の精読に供したところ、それが写本されて方々へ広まった。その翌年、私が旅行の際に会った諸大名の家臣たちは、この写本を介して私のことを知っており、好意を寄せてくれた。しまいには、その日本文が英人サトウの「英国策論」、すなわちイギリスの政策という表題で印刷され、大阪や京都のすべての書店で発売されるようになった。

 

 

とあって、まるで偶然生まれたかのような話になっています。

 

 ただ、これを偶然で片付けてしまうには、あまりにも絶妙のタイミングと言えます。『英国策論』がジャパン・タイムズに掲載された1866年(慶応2年)春の前後に何が起きていたか、列挙すると次のようになります。

 

1865年

 6月   将軍家茂、第2次長州征伐のため江戸出発

 11月  条約勅許

1866年

 3月   薩長連合成立

 春  『英国策論』の原文「English Policy」がジャパン・タイムズに掲載

 7月   第2次長州征伐で長州が勝利

     英公使パークスが鹿児島訪問

 8月   将軍家茂死去

1867年

     和訳された『英国策論』が国内で出版、流通 

 

 これを見ていただければ、明白ですが、『英国策論』の原文「English Policy」がジャパン・タイムズに掲載されたのは、ちょっど薩長連合が成立した直後で、幕府対薩長といった図式が明確になりつつある時期でした。  

 

 このタイミングで、このような意見を発表すれば、どのようなことになるのか。外交官として内政干渉にあたるのではないか。サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読んでも、そのあたりは全く関知していないかのような書きぶりです。

 

これは、勤王、佐幕の両党から、イギリス公使館の意見を代表するものと思われた。そんなことは、もちろん私の関知するところではなかった。私の知ったかぎりでは、このことが長官の耳に入ったことはなかったようだ(後略)

 

 ですが、サトウが、いくら当時はまだ若かったとはいえ、この程度の情勢判断もできないような「ぼんくら外交官」だったはずはありません。また、上司であるパークスも全く知らなかったとはとても思えません。

 

 実際のところ、この時の英国(本国)政府は、日本の国内政局には中立であれ、と在日公使館に指示を出していたことがわかっています。

 

 ただ、日本にいる側としては、薩長の側に加担したい気持ちがどうしてもあって(『一外交官の見た明治維新』を読むと、サトウが薩長側の人間に好意を寄せていく様子がわかります)、本国の訓令から逸脱しない範囲内で最大限の支援をこういう形で行ったとみると、腑に落ちるところがあります(と言っても、やはりかなり逸脱しているような気がしますが…)。

 

 いずれにせよ、結果、このタイミングで出版され、広く読まれることになった『英国策論』は、倒幕の大義名分を薩長に与え、西国諸藩を中心に彼らへの支持を広げることになります。

 

 英国は外交の当事者間では共通認識になっていたこの問題を、ここであえて広く日本国民に「リーク」することで、(現場が主導する形で)自分たちが描いた通りの新政府づくりを進めたと言っても、あながち間違いではないでしょう。

 

gootjapan.miyatohru.com

 

英国が「条約勅許」を急いだ重大な理由

 ラザフォード・オールコックの後を受けて英国公使に就任したハリー・パークスの初仕事となったのが、修好通商条約の天皇による勅許でした(=条約勅許問題)。四国艦隊下関砲撃事件(=下関戦争)で、いわば国内の攘夷派に勝利した英国が、間髪入れずにこの問題を取り上げてきた裏には、これまであまり語られてこなかったある重大な理由が隠されていました。幕末の英国外交官、アーネスト・サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』などを読みながら、この問題を考えていきましょう。

 

f:id:miyatohru:20171124194924j:plain

初代英国公使のオールコック(左)から次のパークス(右)へ、条約勅許問題が引き継がれた

 

 パークスの日本公使就任は、1865年(慶応元年)夏。この時、前年に起きた四国艦隊下関砲撃事件の賠償問題が発生していましたが、多額の賠償金支払いに幕府が難色を示していました。そこでパークスが着任するまでの代理公使だったアレクサンダー・ウィンチェスターは一計を案じ、こう考えます。

 

 大君の閣老は協約の規定にある1回五十万ドルずつ四回にわたっての支払いを続けることは不可能だと言っているから、この際下関賠償金の一部を放棄すれば、その代わりに文書による天皇の条約勅許の約束と、輸入税率を価格の五パーセントまで一率に引き下げさせることが可能になるかもしれない

 

 

 日本の輸入税率の引き下げは、貿易を推進しようとする英国としてメリットがあるという話はすぐにわかるものの、よく考えてみれば、ここでなぜ同時に条約勅許問題が出てきたのか、よくわかりません。

 

 この条約勅許問題はもともと、日米修好通商条約交渉の際、老中だった堀田正陸が朝廷に奏請したものの容れられず、その後、井伊大老が勅許を得ないまま条約に調印、そのままになっていたという経緯があります。

 

 「そのままになっていた話」ですから、「そのままでいいじゃないか」というのももっともな話で、実際、当時のジャパン・タイムズでは、何をいまさらといった論調の記事を載せます。それに対し、サトウが

 

 私はその新聞に、彼の議論を反駁する手紙を送ったが、彼を説得することはできなかった。

 

とも明かしています。英国政府としては、今ここで勅許を得ておかなければならない理由がちゃんとあったということです。

 

 その理由とは何だったのか-。残念ながら、サトウの『一外交官の見た明治維新』を読んでいても、そのあたりはあまりハッキリ書かれていません。少し消化不良気味だったのですが、別の資料、『パークス伝-日本駐在の日々』(F・V・ディキンズ著、高梨健吉訳、平凡社発行、1984年刊)に、その理由が明記されていました。

 

 

 これを読むと、実はこの問題を重要視していたのは、先代の公使だったオールコックで、彼は四国艦隊下関砲撃事件の直後、本国へ送った報告書の中で、次のような意見を述べていました。

 

 政府の崩壊は、条約を締結する権力の崩壊を意味する。外国交際の維持に強く反対する大名と対抗して、我々が最も頼りにできるのは彼(大君)とその政府以外にはない。なるほど多くの場合において、彼は頼りにならぬほど微力であるが、我々が法律的権利をふりかざして、過去に定められた約束の履行を要求できるのは、大君に対して以外はできず、また取りきめを有効かつ義務的なものにするには、彼に承認させるほかはない。彼の政府が消滅し、彼との関係がなくなれば、我々は条約の権利を主張できる唯一の堅い基盤を失うことになる。

 

 つまり、オールコックは日本を去る直前、幕府の命運がもうそれほど長くはないことを見越し、幕府が倒れても日本(新政府)との条約が有効であり続けるためには、早急に勅許を得ておく必要があると主張していたのです。

 

 これまでの幕末史の中で、こうした見方は全くと言っていいほど紹介されてきませんでしたが、言われてみれば、たしかにこれは重大な問題です。英国がここにきて条約勅許を急いだ理由がハッキリと理解できます。英国にとっては幕府が倒れる前に、どうしても踏んでおかなければならないステップだったのです。

 

 言い換えれば、すでに英国はこの時点で、幕府の崩壊を見越したシナリオを持って動き始めていたということです。(別のページでも触れましたが、オールコックの読みは的確で、先手先手と策を打ち、幕末の政局をリードする大きな存在でした。もっともっと取り上げられていい人物です。)

 

gootjapan.miyatohru.com

  

 

 

坂本龍馬が今後も教科書に残る可能性

 近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しようという提言をしたためです。

 

 では、これで本当に坂本龍馬が教科書から消えてしまうのでしょうか。今回は、現実に龍馬の名が教科書から消えることの影響、そして復活の可能性について見ていきましょう。

 

f:id:miyatohru:20171125112401j:plain

龍馬はこれで本当に教科書から消えてしまうのか!、復活の可能性は?

 

 その議論を始める前にまず、現行の教科書では坂本龍馬について実際にどのような表記がされているのか、知る必要があります。高校での教科書採択率の高い山川出版社の『詳説日本史B』2017年版から、龍馬に関する記述部分を抜粋すると、

 

 

1866(慶応2)年には、土佐藩出身の坂本龍馬・中岡慎太郎らの仲介で薩摩藩は長州藩との軍事同盟の密約を結び(薩長連合、または薩長同盟)、反幕府の態度を固めた。 

 

これに対し土佐藩はあくまで公武合体の立場をとり、藩士の後藤象二郎と坂本龍馬とが前藩主の山内豊信(容堂)を通じて将軍徳川慶喜に、討幕派の機先を制して政権の返還を勧めた。 

 

と2カ所に具体的な表記があります。

 

 たったの2カ所、幕末という時代の限られたページの中ですが、政局にからんでる感は充分に出ているような気がします。

 

 こういった表記が完全になくなると、どうなってしまうのでしょうか。歴史に詳しい方であれば、教科書に載っていようがいまいが、自らの価値判断を持てるのでしょうが、普通の方の場合、やはり「教科書落ち」ということで、歴史上の人物の序列上、二流感を感じてしまうのかな、という気がします。

 

 こう考えてくると、危うし、龍馬ブランド! と思ってしまいますが、ちょっと待ってください!。

 

 引用した2カ所をよくよく見てみると、薩長連合が太字表記なのに対し、坂本龍馬の名前部分はいずれも太字ではありません。参照した山川の教科書には、太字表記の意味が明記されていませんが、おそらくこれが「覚えるべき歴史用語」なのだと思います。

 

 太字表記でなければ、実は結構、幕末でも多くの人物名が登場します。これは「覚えるべき歴史用語」扱いではないものの、「便宜上、あった方が説明しやすい」といった教科書執筆者個々の判断からでしょう。

 

 今回の用語削減の提言の中でも、「薩長連合」については存続の方向が打ち出されています。とすれば、その説明の便宜上、坂本龍馬の名が残ることは充分に考えられます(ただし、太字表記ではありませんが、もうすでに山川の教科書で坂本龍馬の表記は太字ではありません)。

 

 実は今回、このような提言が出てきた背景には、文部科学省が2022年をめどに、小中高すべての科目で「主体的で対話的な深い学び(アクティブラーニング)」の導入を目指していることがあります。高校の歴史教科書もこの流れの中で抜本的な見直しを迫られています。

 

 こう考えれば、今回の提言が実施に移される可能性は高いと言えます。ただ、坂本龍馬の名前については、今後は「覚えるべき歴史用語」扱いではなくなるものの、「説明の便宜上」という教科書執筆者個々の判断により、これまで通り残る可能性が高いのではないでしょうか。

 

 生死の境をさまよいながらも、しぶとく生き残る-。というのも、この人らしくていいのかもしれません。 

 

 

まとめ:歴史を暗記科目から脱皮させるために

 近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しようという提言をしたためです。

 

 同研究会がこのような提言をした背景には、「歴史的思考力の育成」を掲げ、「歴史系科目=暗記科目」からの脱皮を図る、といった目的があります。

 

f:id:miyatohru:20171120181555j:plain

(photo by PAKUTASO、モデル:河村友歌)

 

 しかし、これを実現するには用語の削減だけでは済まされない難しい問題が潜んでいるとして、本ブログでは、これまで3回に渡ってこの問題を考えてきました。

 

gootjapan.miyatohru.com

 

gootjapan.miyatohru.com

 

gootjapan.miyatohru.com

 

 今回は、そのまとめ的提言です。

 

 

 ●旧帝大は率先して個別試験から歴史を除外する(=東北大方式)

 

  難関校で入試=ふるいにかける試験を課そうとすれば、しかも定理・法則のない歴史の場合、どうしても難問・奇問が出てきてしまう。それでは、いっこうに歴史用語の膨張傾向に歯止めがかけられない。そこで、東北大学文科系全学部がすでに実践しているように、旧帝大などの主要大学は率先して個別試験で歴史(社会)を課すのを止める。ただし、基礎的学力を問うセンター試験については現行通りに実施する。

 また、近年、歴史的思考力を問おうとする傾向もあるが、これを進めると、採点の公平性の問題が出てくる可能性があるので、思考力については、無理に歴史で問おうとするのではなく、数学で代用する。

 これらにより、歴史を入試の呪縛から解放、教育現場の自由度を高める。

 

 ●高校教科書の用語に「総量規制」を導入する

 

 新規に歴史用語を採用する場合は、同時に重要度の薄れた用語を落とす作業をして、その総量をコントロールする(=総量規制)。

 場合によっては、時代別に用語の配分に差を付けるといった発想を採り入れるといったことも考えられる。たとえば、現代に近づくにつれて、より多めに配分するようにすれば、古代史はおおまかな流れを、近代史はより細かな事実関係を、学ぶ形になる(=傾斜配分方式)。

 

 ●教育者以外を交えて高校向け新カリキュラムの開発に取り組む

 

  大学入試という呪縛から歴史を開放、自由度を高めた上で、歴史的思考力を育む新カリキュラムを開発する。その際、NHKの歴史系番組制作経験者など外部識者を交え、これまでにない発想の導入に努める(=新カリキュラム開発モデル事業)。

 また、自ら主体的に歴史を調べるということが、歴史的思考力を育むのに極めて適していることから、ファミリーヒストリー調査演習のカリキュラム化を検討する(=歴史のアクティブラーニング化)。ファミリーヒストリー調査は自ら歴史にアクセスしていく必要があり、また自分で考えていかなくてはならない(暗記に頼れない歴史)。その過程で背景にある歴史(社会史)も学ぶ必要がある。

 

 

 以上、民間研究者の拙論にて、失礼いたしました!。

 

龍馬以外にも教科書から消えそうな人物-幕末編

 近い将来、高校の歴史教科書から坂本龍馬の名が消えるかもしれない-。そんなニュースが流れ、世間を騒がせました。高校と大学の歴史教育者で作る「高大連携歴史教育研究会」が、教科書の用語数を削減しようという提言をしたためです。

 

 実はニュースになった坂本龍馬以外にも、「えーっ」と思うような有名人が教科書から消える可能性があります。今回は、とくに幕末について、具体的に誰が残って、誰が消えそうか、見ていきましょう。

 

f:id:miyatohru:20171119183147j:plain

龍馬以外にも教科書から消えそうな人物がこの中にいる。えっ、全員!?

 

 同研究会では今回、ただ用語の削減を総論として提案するばかりではなく、どの用語を残すか具体的な提言までしています。そこで、坂本龍馬の名前がない、ということで話題になったわけですが、龍馬以外にも結構な歴史上の有名人まで教科書から消えようとしています。

 

 具体的に見ていきましょう。同研究会の「高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案」(第一次)には「用語精選案」として具体的な用語があげられています。その中で、幕末に当たる「幕藩体制の崩壊」の項目から、人物名のみピックアップすると、以下のようになります。

 

 ペリー、ハリス、プチャーチン、孝明天皇、徳川家茂、徳川慶喜、井伊直弼、勝海舟、和宮、明治天皇

 

 たったの10人です。たしかに坂本龍馬の名前はありません。

 

 と、歴史ファンの皆さんの中には、ほかにも、あることに気づいた方もいらっしゃるでしょう。

 

 そうです、西郷さんがいない!。

 

 実際には、西郷隆盛は明治に入ってから、征韓論との関連で名前が出ているので、完全に教科書から消えるというわけではないのですが、この提案がそのまま通れば、幕末部分の記述からは消える可能性があります。

 

 完全に消えるわけではないということで、今回、あまりニュースにはなっていませんが、西郷さんのファンからすれば幕末の活躍をイメージされる方が多いでしょう。実は龍馬同様、西郷さんも危機にあるわけです。

 

 このほかにも、現行の教科書(高校での教科書採択率の高い山川出版社の『詳説日本史B』2017年版)にあって(太字表記)、精選案にない人物をあげると、

 

 

 ビッドル、阿部正弘、堀田正睦、徳川家定、三条実美、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、桂小五郎、岩倉具視

 

がいます。ただし、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎(=木戸孝允)、岩倉具視については、明治初期に表記されるよう提案されています。

 

 とすると、高杉晋作も龍馬同様、完全に消えることになります。

 

 ※ただし、この議論はさらに大きなもので、2022年度をメドに高校での歴史教育は激変が予想されます。世界史と日本史を融合した「歴史総合」が新設され必修化、従来の日本史は新たに「日本史探究」となり、選択科目となります。龍馬の名前どころの話ではなく、教科書の記述スタイルそのものが大きく変わる見通しです。詳しくは下記リンク『歴史界激変!?、「歴史総合」を拙速に導入するな』をご覧ください。

 

gootjapan.miyatohru.com

 

gootjapan.miyatohru.com