グッと身近に来る日本史

読書でタイムトラベラー/時空を超えた世界へと旅立つための書評ブログ

田沼意次はなぜ「賄賂政治家」になったのか

北方からのロシア接近に対して、幕府はどのようにのぞんだか?。今回はまず、それを知る上で踏まえておきたい変革期にあった幕政の動向について、当時の老中、田沼意次から見ていきましょう。

『赤蝦夷風説考』蝦夷地に迫る大国ロシアの影が公に

1783年(天明3年)、ロシアの蝦夷地接近に対する危機感をあおる一方で、対ロ貿易の可能性を説いた『赤蝦夷風説考』が出版されます。これが時の老中、田沼意次の目にとまり、幕府が直接、蝦夷地調査に乗り出すことになります。その後の情勢次第では日ロ通商条…

江戸中期、密かに始まった通商交渉

江戸時代の初め、外国だった今の北海道(蝦夷地)。それが江戸中期になると、蝦夷地は新たな局面を迎えます。ロシアの極東進出です。今回はロシアの登場による幕府や松前藩の対応について見ていきましょう。

型破りな『松前藩』の扱いに困っていた?江戸幕府

江戸時代、米が獲れなかった蝦夷地にあった松前藩から日本のかたちを考えます。今回は、外国と考えられていた当時の蝦夷地(今の北海道)が、ひょんなことから、次第に日本に組み込まれていく過程を見ていくことにします。

米の獲れない『松前藩』から日本とは何かを考える

江戸時代、三百諸侯と言われたあまたの大名家の中でも、蝦夷地にあった松前藩ほど特殊な藩はなかったと言えるでしょう。理由は明確。石高(米の収穫高)が基本の幕藩体制にあって、松前藩では米が獲れなかったからです。今回のシリーズでは『松前藩』(濱口…

幕末外国人の横浜郊外小旅行記【鎌倉編】

『スイス領事の見た幕末日本』のルドルフ・リンダウによる横浜郊外小旅行記。今回は鎌倉を巡る旅の記憶です。ここでリンダウが心動かされたのは、「茶屋」と「子どもたち」でした。

幕末外国人の横浜郊外小旅行記【金沢八景編】

『スイス領事の見た幕末日本』(原題『日本周遊旅行』)の著者、ルドルフ・リンダウは横浜から郊外へ小旅行に出かけた際の様子を書きのこしています。その記述からは当時の人々の息づかいまでが伝わってきます。

「全てが安寧と平和を呼吸していた」幕末の日本社会

『スイス領事の見た幕末日本』の筆者ルドルフ・リンダウは1859年(安政6年)、横浜から江戸へと散策に出かけます。そこにはのどかで平和な日本の田園風景がありました。

【黒船来航】で欧米社会の日本への関心は?

幕末に日本を訪れたドイツ人、ルドルフ・リンダウは『スイス領事の見た幕末日本』(原題:日本周遊旅行)の中で、当時の日本人の暮らしぶりを、豊かな表現で描写しています。今回は、これを読みながら、幕末にタイムスリップしていきましょう。 スイス領事の見…

【歴史哲学】国家とは何かを語源から考える

国家とは何か--。『歴史とは何か』の中で岡田英弘氏はこの問題をそれぞれの言葉の語源から考えています。

【歴史哲学】歴史には「いま」と「むかし」しかない

今回も岡田英弘氏の『歴史とはなにか』から歴史を哲学していきます。岡田氏はマルクス史観を批判、歴史には「いま」と「むかし」、「現代」と「古代」という二分法しかない、といいます。その真意は?

【歴史哲学】ヒストリーとストーリーは同じことばである

引き続き、岡田英弘氏の『歴史とはなにか』を読みながら、歴史を哲学していきます。ヒストリーとストーリーが同じとはどういうことでしょうか?。

「歴史哲学」歴史は物語であり、文学である

歴史を哲学するシリーズ。今回は岡田英弘氏の『歴史とはなにか』を読みつつ、考えていきたいと思います。

「岩倉使節団」ロンドンで欧米追う光明見出す

ロンドンで日本との40年の時差を知った岩倉使節団。この差を今後どう埋めていけばいいのか。『特命全権大使米欧回覧日記』は考察していきます。その答えもやはりロンドンにありました。

「岩倉使節団」がロンドンで気づいた40年の時差

岩倉使節団はイギリスで高度な技術力に圧倒されながらも、その進歩はわずか40年前からだったことに勇気づけられます。日本の行く末を模索する『特命全権大使米欧回覧日記』を読み解きます。

「岩倉使節団」ワシントン訪問で知った日米の違い

明治4年(1871年)、岩倉使節団は鉄道で米大陸を横断、首都ワシントンにやってきます。ここで使節団は日米の国の基本構造=国体の違いを認識することになります。『特命全権大使米欧回覧日記』を読み解きます。

「岩倉使節団」維新は必然の結果とみた久米邦武

明治4年(1871年)、岩倉具視を正使とする新生日本の大使節団が組織され、世界を広く見聞して回りました。いわゆる「岩倉使節団」です。今回はその時の様子を伝える『特命全権大使米欧回覧日記』を読んでいきます。

『三四郎』通勤族の出現をいち早く描いた漱石

漱石は『三四郎』で、電車による通勤族の登場をいち早く紹介しています。当時の東京では、電車の敷設が相次ぎ、社会が大きく変わろうとしていました。

『三四郎』街の概念が変わることに驚いた漱石

夏目漱石の『三四郎』を読みつつ、明治人の感覚を読み取るシリーズ2回目。この本には、「都市の大きさを規定する概念が変わっていく」という明治人なりの驚きが書かれています。

『三四郎』漱石が変わりゆく東京に見たロンドン

昔の小説を読んでいると、現代人とは違う当時の人々の感覚がひょっこり顔を出すことがあります。こうした感覚の違いは歴史書を読み解くだけではわかりません。今回は、夏目漱石の『三四郎』から明治人の感覚を「感じて」いきましょう。

世界が本当に「歴史総合」化したのはいつか?

2022年度から高校で始まる「歴史総合」とはどのような内容になるのか。文部科学省の資料によると、「近現代の世界史と日本史」ということになりそうですが、具体的に「近現代」とはいつの時代からのことでしょうか?

歴史界激変!?、「歴史総合」を拙速に導入するな

2022年度をメドとして進められている高校での新科目「歴史総合」。日本史と世界史を融合させるというこの新科目を拙速に導入して本当に大丈夫なのか?

「輝く目と明るい顔色をした」若き日の明治天皇

1868年3月(慶応4年3月)、明治天皇は各国公使に謁見。英国公使ハリー・パークスとの謁見の様子は、随行していたアルジャーノン・ミットフォードが詳細に記録しています。今回は、この時の明治天皇の様子。

幕末動乱の末に英国が見た京都御所

慶応4年3月、新政府の方針に基づいて明治天皇は英国公使ハリー・パークスと謁見。この時の京都御所や明治天皇の様子は、パークスに随行していた外交官アルジャーノン・ミットフォードによって詳細に記されています。その様子を見ていきましょう。

パークス襲撃事件-英国から見た「最後の攘夷」

王政復古の大号令直後、新政府は国際法に基づく外交を行うことを宣言、天皇が各国公使に謁見することとなりました。しかし、英国公使ハリー・パークスは御所に向かう途中、志士に襲われます。最後の攘夷事件を、英国側から見ていきましょう。

英外交官ミットフォードが徳川慶喜に見た近世

1867年(慶応3年)4月、徳川慶喜は大阪城で諸外国公使と謁見しました。古式に則ったこの会見の様子を英国の外交官、アルジャーノン・ミットフォードは「東洋の最果ての国の昔の物語の中の一章」と記しています。

英国の貴族外交官が見た幕末

幕末の英外交官と言えば、アーネスト・サトウが有名ですが、もうひとり、アルジャーノン・ミットフォードもいます。彼の回顧録『英国公使館の見た幕末維新』を読みながら、「ミットフォードの幕末」へとタイムスリップしてみましょう。サトウとはひと味違っ…

サトウの見た「王政復古の大号令」前後の徳川慶喜

幕末の英外交官、アーネスト・サトウは、最後の将軍、徳川慶喜には特別な感慨を持っていたようです。彼の回顧録『一外交官の見た明治維新』から、王政復古の大号令前後の徳川慶喜の姿を抜き出してみます。

「英国策論」から「大政奉還」へー土佐藩の反応

幕末の英外交官、アーネスト・サトウによる『英国策論』出版後の各藩の反応。土佐藩では『英国策論』の議論をはるかに超えた考え方を持っていたことがわかります。大政奉還の2ヶ月ほど前のことでした。

「英国策論」後の各藩の反応-福井藩の「塩対応」

幕末の英外交官、アーネスト・サトウによる『英国策論』出版後の各藩の反応について。今回は福井藩の反応を、サトウの回顧録『一外交官の見た明治維新』を読みながら、見ていきましょう。