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「王政復古の大号令」で一気に緊迫した武士社会 『南部維新記』の世界②

  今回も引き続き、『南部維新記-万亀女覚え書から』をご紹介する形で話を進めていきましょう。

 

 前回は、大政奉還直後の武士社会の反応がわかる部分をご紹介しましたが、今回はその次に来る、王政復古の大号令に対する反応です。

 

南部維新記―万亀女覚え書から (1973年)

南部維新記―万亀女覚え書から (1973年)

 

 

 以下、同じ古老による王政復古の大号令直後の盛岡藩江戸藩邸の様子の回想です。

 

 全く大変なことになったのです。毎日のように盛岡へあてて、早飛脚、早駕籠が飛ばされる。ボヤボヤしていると、国へも帰れなくなると心配する人もあり、気の早い人は江戸でなにか食う道を考えなければ、武士は路頭に迷うなどと口走る人もいました

 

 大政奉還直後は、あれっどうなっちゃうんだろう?、ぐらいの認識だったものが、王政復古の大号令によって、武士社会は一気に緊迫したということが伝わってきます。動揺から緊迫へと、受け止め方が大きく変わったことがわかります。

 

 ここで王政復古の大号令とはどのようなものだったのか、確認しておきましょう。

 

 大政奉還で幕府は政権を返上したものの、徳川家は依然として存続しており、朝廷自ら政治をおこなうにしても、徳川家が有力な政治勢力として残るのだろうとみられていました。

 

 ところが、王政復古の大号令で徳川家は会津、桑名とともに新政権から完全に閉め出されます。薩長と徳川の対決姿勢が鮮明となったことで、政局は一気に緊迫しました。

 

 今に伝わる藩邸の空気感は、まさにこのあたりを反映したものでしょう。「ボヤボヤしていると国にも帰れなくなる」というのは、すぐにも戦争が始まるという読みなのだと思います。

 

 そして、ここでもすでに「武士がなくなる」といった考え方があったことが読み取れます。しかも、大政奉還直後より格段に切迫感は増しており、「江戸でなにか食う道を考えなければ、武士は路頭に迷う」と、もうパニック寸前の状況です。

 

 徳川家の政治的な締め出しは、幕臣の一斉解雇につながります。イコール武士がなくなるという連想につながっていくというのも、納得のいく話です。

 

 これでは、戦費が調達できないという物理的な面とともに、精神的にとてもまともに戦えるような状況ではなかったでしょう。大方の藩はこのような状況で、身動きが取れなかったと思われます。

 

 そして。明けて慶応4年正月3日、鳥羽・伏見の戦いが始まります。

 

 しかし、戊辰戦争は局地戦のレベルで終わりました。本来であれば、関ヶ原のような大戦になったとしてもおかしくはないのに、そうならなかったのは、武士社会がそもそも戦意喪失していたということが根底にあったとみれば、しっくり来ます。

 

 今も昔も変わらない人間社会。歴史の真実とは、案外、こんなところに隠れているのだと思います。■

 

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江戸時代、盛岡藩の下屋敷があった東京・麻布の有栖川宮記念公園一帯は、高度成長期に入る直前まで、藩邸にちなみ「麻布盛岡町」という地名だった。今では、近くの交番にのみ名残が見られる。高度成長期は江戸の名残を捨て去り、現代の国際都市・東京へと変貌を遂げた時代だったことが、ここからもうかがえる。